「鳥の頭脳は人間の幼児並みだから」
こう考えている人にこそ、一度フリーフライトをゆっくりと見てほしいと思います。
賛否は別として、家ではかわいいだけの愛鳥が本来彼らの世界でどう生きているのかをあらためて観察すると、その頭脳を人に例えようという発想は吹っ飛びます。
人が動物の賢さを判断する規準は、往々にして “いかに人間に近いことができるか“、“いかに人間の指示を理解するか” くらいです。
ものの名前を認識する、芸を覚える、パズルを解くなどです。
しかしこれは正しい評価でしょうか?
私もかつて犬は賢く、鼠はバカなものと思っていました。
しかしこれは非常に西洋的な人間本位の価値観で、ともすれば危うい偏見に満ちたものの見方ではないでしょうか?
「牛や豚は下等だからいいけど、鯨は賢いから殺すな」、
この発想と根付くところが同じではないでしょうか。
幼児並みの頭脳と言われるインコたちは、ずっと絶えることなく大自然を生き延びて繁栄してきました。
飛ぶ度に迷子になったりカラス程度に捕まるようではとっくに絶滅しているはずです。
では反対にその知能と等しいという人間の幼児を千人でも一万人でもアマゾンに置き去りにしたら、一人でも自力で生き残れるのでしょうか?
幼児と言わずとも、あなたなら今の知能を持ってインコの体に入り、現地で生きていけるのか?
広大で複雑な土地を飛び、巡る時を知り、食べ、備え、旅をし、敵を欺いて子孫を繁栄させる知恵が我々にあるのか?
鳥が無理ならもっと下等と言われる昆虫やミミズになってそれができるのか?
人間の頭脳を持ってしてなお不可能な生き方をしている彼らを、どうやって私たちが賢い・バカとランク付けできるのでしょうか?
もしも鳥が人間の賢さを、
“いかに鳥に近いことができるか” という基準で判断するなら「人間の頭脳は幼鳥並みだ」と笑うだろう。
カレンダーがないと季節も知らず、時計がないと一日の段取りもこなせない。
地図がないと迷い、一人では食べることも自分を守ることもできず、手取り足取り教わらないと何も覚えられない。
敵や迷子の心配のない年中適温の無菌室で、栄養のあるものをもらい、愛情を掛けられ遊んでもらい、病気になれば治療してもらい、平均寿命を全うする。
一生家で過ごすインコも十分幸せそうに見えるし、おそらく幸せだろう。
しかしフリーフライヤーとの決定的な違いは、それらを受け取る代わりに鳥としての尊厳を剥奪されていることです。
家から逃げ出したインコがすぐに迷子になったりカラスに捕まるのは、文字通り心身ともに幼児のままだからです。
あえて人に例えれば、交差点で左右を確認したり車が来たら避けるということすら教わらないまま大人になるということです。
フリーフライトが可能なのは、鳥として自立しているという証です。
フリーフライヤーたちは家にいるインコよりも逞しく、表情、立ち振る舞いにも気高さが垣間見えます。
ではリスクをどうとらえるのか?
私は、それは彼らの尊厳の中に含まれるべきものと思っています。