鳥はよく飛ぶほど元気

先日ある年配のインコのブリーダーを訪ねていて、うちの鳥が見たいと言われたので携帯でうちのウロコインコとオキナインコが海辺で飛んでいる様子を見せた。
ブリーダーの第一声は、
「おお!これだけよく飛んでると元気だろうねぇ」。
それを聞いて私は、やはりこれがまともな感性なんだと思い直した。

そして彼は、
「やっぱり人間といっしょで運動しない鳥ほど病気になりやすいよ」
と続けた。

子供はゲームやネットをし続けるよりも走り回って遊ぶ方が健康であるように、鳥もよく飛ぶ方が健康に決まっている。
同じ運動にしても、室内よりも日光や風に当たりながらする方が、心にも体にも良いはずだ。
これが素直なものの見方であり、常識だと思う。

 

非常識な常識

ところがツイッターやユーチューブをやっていると、実は自分は少数派で非常識な人間なのかと錯覚しそうになる。
「鳥の翼は食料を確保するためのもので飛んで遊ぶものではない。食料が足りているなら飛ぶ必要はない」。
これはフリーフライトの否定派がよく使う定型文の一つで、実際にいくつかのインコの飼育本にも書かれている。
私も仲間のフリーフライヤーもこの文句でよく絡まれたり悪口を言われたりしている。

 

商売人の嘘

この定型文は、特に商売で鳥を扱う者たちが二つの目的ででっち上げた詭弁で、それが一般人に鵜のみにされたものだと私は思っている。
目的の一つは販売促進で、ペットを飼いたいが「猫は躾が面倒だし、犬は散歩させないといけないし」という人に、「鳥は楽ですよ」と言って売るため。鳥が売れれば飼育本やグッズ、獣医の需要も増える。
もう一つは鳥を閉じ込めることを正当化するため。何十羽も売ってる店で販売中の鳥をまともに運動させるのは物理的に不可能だろう。荒鳥を放鳥したら収拾がつかないし、羽をクリッピングして売る店は建前程度にケージの外側を10分ほどはい回らせることを放鳥時間と言ってアピールする。
そういう店で売れないまま何年もケージから出たことのない鳥は現に多数存在する。

因みに先日バードランのことをブログに書いたが、これも飛ばすための施設ではなく人工的なアスレチックをはい回らせるための、文字通りバード”ラン”でしかない。
鳥専用の施設なのに飛ぶことを重視せず、木や草の1本も置かず壁を四角四面ままにしているのが私には意外に思える。

 

根拠を示せ

「鳥の翼は食料を・・飛ぶ必要はない」
私はこれを言われたときにいつも、
「では犬も散歩の必要はないんですか?」
と聞き返す。そうするとほとんどは返答がないか、もしくは
「鳥と犬をいっしょにするな」
とキレ気味に返してくる。「では犬の足は遊ぶためのもので、鳥の翼は食料を探すためのものなんですね?」
と念を押すと、
「今は犬の話をしていない、話をすり替えるな」
と返してくるのがお約束となっている。

果たしてこれをすり替えというのだろうか?
無論、鳥類と哺乳類は違う生き物だが、心身の発育の過程や健康を維持するための原則的なことはほぼ共通ではないのか?
成長期に心身ともに発達させることが大事であり、成長後もよく運動するほど健康が維持できて、狭い部屋で新しい刺激もないを毎日を送るよりも、日々変化のある環境で自ら考え行動することが、ボケや老化を防ぐ鍵ではないのか?

「犬の散歩は必須だが、鳥は飛ぶ必要はない」、これが事実なら事実として受け止めたいので根拠を明確に示してほしいだけであるが、納得のいく答えをくれた者は一人もいない。

 

不都合な真実

因みに海外では、飼い鳥を飛ばさないことにより鳥の心身に重大な支障が出ているという、信頼に足ると思われる詳細な報告がある。単に翼の筋肉や骨が衰弱するというだけではすまず、内臓やメンタルにも影響を及ぼすと言われる。それが日本ではメジャーなトピックにはならない。
上記のごとく商売にしている者の大半はこのことを広めたくないのは当然だが、隠すことも不可能なネットの時代になぜ一般の鳥飼いの間にこれが広まらないのか?
理由は恐らく、「何年も鳥に良かれと思ってやってきたのに、今更不都合なことを知りたくない」「それが事実ならうちで鳥が飼えなくなる」という人が多いからではないか?

 

時代は変わる?

そのブリーダーは、
「しかしインコを外で放してもちゃんと帰ってくるように訓練できるんだね。こんなの初めて見たよ」
と言った。
世の中には知らなかったばっかりに、今では非常識と言われることがかつては常識として何世紀も変わらなかったが、新しい事実が分かった日を境に、過去と現在に明確に線が引かれたことが私の世代でもいくつもあった。
例えば動物園では大きな動物を狭い檻に入れてきたが、近年で大きく改善された。

ペットでは、犬は必ず散歩をさせるべきということが定着した。

鳥は?
新しいことを試みると必ず足を引っ張るやつがいる、とはこういうことだろうか。

「餌さえやっとけば飛ばす必要はない」

こう言って、飛び立とうとする鳥たちの足にしがみつき必死に地面に引き戻そうとする輩がいまだ多い。

 

このブログを音声でも公開しています。

 

 

関連ブログ インコのフリーフライトとバードラン

 

 

【重要】 フリーフライトへの誹謗中傷

このホームページは常識のある大人を対象としています。

常識のある人とは、例えばこの項ではバードランやペットショップ、獣医、飼育本の著者などをやや批判的に書いていますが、それに一々「※すべての施設にあてはまりません」とか「※これは業界の一部であり、大半は良心的な人たちです」などと注釈を入れなくても理解できる人のことです。

このホームページを曲解や揚げ足取りをして誹謗中傷や印象操作をする者がたくさんいますが、そういった人格や知能レベルの者は対象外としています。

残念ながらすべての人が気持ちよく読めて理解できるものを書くことは不可能ですので予めご了承ください。

 

これに関連することで、フリーフライトに憧れていたのにSNSでの私や他のフリーフライヤーへのバッシングを見て、自分も同じ目に合うのかと思い怖くなったとか、フリーフライトに興味があると口にすると匿名の者からDMでなじられ、そのときの恐怖が消えない、など数名の女性から相談がありました。

また特定の相手に宛てたものでなくとも、フリーフライトは違法だとか、怯えている鳥を餌で釣って無理やり飛ばしているから虐待だ、などとデマを飛ばしてフリーフライトを試みることに罪悪感を植え付けようと印象操作を謀る者が後を絶ちません。

謂われなきことで心を傷つけられたり個人の自由を妨害されている被害者が出ています。

これはフリーフライトの問題ではなく人権の問題です。

せめて日本人ならこのくらいは自覚して、自分の言動に責任を持ってもらいたいものです。

追記:

早速出てきましたが、まったく返答になっていません。

意図的だと思いますが今までのもの同様に論点がずれています。

心身の健康の維持のために「犬の散歩は必須だが、鳥は飛ぶ必要はない」という根拠を明確に示せというのが論点です。

犬はハーネスを着けて散歩をしている、だから鳥は飛ばなくても健康でいられる?

https://twitter.com/piymq/status/1458245771065659393?s=20

 

↑「 時代は変わるし考え方も変わるんだけどな、と。」

それは私が言っていることです。

私は根拠を上げて論理だてて説明していますが、私のどこが詭弁なのか具体的な指摘もせずに・・、、面倒なので省きますが「残念ながらすべての人が気持ちよく読めて理解できるものを書くことは不可能ですので予めご了承ください。」とお断りしているのは、こういうケースのことです。

 

「海外で飛ばない鳥の健康被害が報告されている」というのは事実であって私の意見や感想ではありません。

上の例同様に、事実と感想の区別がつかない人間でも理解できるような文章を書けるほどの才能が私にはありません。

この言い分は上と同様に、「犬の散歩は必須だが、鳥は飛ぶ必要はないという根拠を示せ」に対して答えになっていません。

安全の確保云々と鳥が飛ぶことと健康の関連性を否定するのは別問題です。

「犬の放し飼いが法的にダメ」ということが「インコのフリーフライトを止めろ」という主張の、何の根拠にもならなりえません。

絶対にロストを許さないという人が、なぜ先ず家で飼うこと自体の禁止を訴えないのでしょうか?

フリーフライトをせずに飼っている飼い主たちが、「鳥の安全を保証も確保もできない」から毎年数千羽ものインコをロストさせています。

またフリーフライトは飼い主がさせたいだけではなく、鳥たちも望むことです。

多少でもインコを飼ったことのある者なら映像を見れば、いやいや飛ばされているのか自ら喜んで飛んでいるのかは一目両全ですが、認めたら負けとでもと思っているのでしょうか?

重複しますが、このように事実よりも自分の意見がの方を現実だと思い込んでいる人間と議論しても無駄です。

 

人権をどう思っているのか?

それよりも重要なのはこの者が「鳥の飼い方が自分と違うから日本から出ていけ」という思考を持っていることです。

日本は民主主義の国です。つまり考え方の違う人間同士が共存することを認める社会です。

逆に自分以外の考え方や他人の自由な活動を許さないというのは全体主義といいます。

「鳥の飼い方が自分と違うから日本から出ていけ」という思考の者こそ、どこかふさわしい移住先を探すべきではないでしょうか?

鳥を愛する人たちの中には、そもそも鳥を閉じ込めてペットにすること自体を虐待として反対している人も大勢います。

その人たちの大半は普通に社会人として働きながらバードウォッチングを楽しみ、誰とでも至って常識的な会話を楽しめる人たちです。

このように人それぞれに考え方があり、他人から見れば自分も理解されない存在であるということを知るまっとうな大人は、自分の勝手な物差しで他人を裁いたり揶揄するようなことはしません。

これらはまだ品のいい方で、以前から同様のことをもっと口汚く罵るアンチもいました。

私個人としてはこの程度の人間の言葉にまったく重みを感じないのでどうでもいいですが、上記のようにこういった他人の人権を阻害するような発言をする輩に怯えている被害者がいるので、多少でも改善すればと願いながら一例として挙げておきます。

2021/11/11